side KANADE ふっとした瞬間に思い出す。 皆の優しさが無かったらわたし、きっとずっと心に怪我したまんまだっただろうなあ、って。 どれだけありがとうを言っても足りないくらいのありがとうを、みんなに抱えてる。 そのありがとうをお返しするために、わたしはいっぱいいっぱい、幸せになろうって思う。 わたしの笑顔が見たかった、ってみんなが言ってくれたから、せめて笑顔が恩返しになればいいなあって思うの。 「え、ニアってばいつの間に東金さんと土岐さんと仲良くなったの?」 菩提受寮のロビーで、おやつに作ったチーズケーキと一緒にお茶を飲んでた時にふっと出た会話。 どうしてあんなにタイミング良く大地先輩が迎えに来てくれたこととか。 そしたら種明かしをしてくれたんだけど。 1ヶ月も前からこつこつ計画してくれてたなんてすっごくびっくりして、それから何よりニアと東金さんたちがそんなにこつこつ相談してたなんてほんっとうにびっくりした! そうしたらニアが普通の顔して別に仲良くなんかないさって言うから首を傾けた。 「利害が一致しただけさ。奴らと、私たちの」 奴ら、は土岐さんたちの事だよね?じゃあ…あれえ? 「私、たち?」 って、ニアの他にも誰か居たのかな? ニアはフォークでチーズケーキを一口分切りながら。 「私ははじめ、そこまで乗り気ではなかったんだ。 だが、如月弟がな」 なんてことを言う。 え、響也? 突然予想してなかった人の名前が出てびっくり、瞬きを何回かした。 ニアはチーズケーキをぱくり、食べてから、わたしの顔を見て。 「そうだ、如月弟が私にこう言うのさ。 あいつのあんな気の抜けきった顔は見たくないからなんとかしてやろうぜ、とな」 …びっくりした。 響也にまでそんな心配と、やさしい気持ちを貰ってた。 「言っておくが如月弟だけではないぞ。 水嶋も凄い形相で榊に掴みかかって居たし、噂では至誠館の連中も東金と結託してたらしいしな。 知らぬは本人ばかりなり、とは本当に良く出来た格言だな」 そう言って楽しそうに笑うニア。 でもわたしは、どうして良いか解らなくなる。 いっぱい準備とかしてもらってなんか凄く謝らなきゃいけない気が…−。 「小日向」 ちょっとしょんぼりしてたのに気づいたのか、ニアはぴっとフォークでわたしを指差して。 「私たちがこんなに時間と手間を掛けたその報酬が、その表情だとでも言うつもりか? 私たちはそんなもののためにやってきたんじゃないさ」 ニアの言いたいこと、解るよ。 土岐さんだって、おんなじようなこと言ってた。 だからわたし、ことばじゃない方法でありがとうって言おうと思うの。 見たかった、って言ってくれた笑顔は、もう無理をしなくっても浮かんでくれるから。 「ニア、人にフォークを向けるなんてお行儀わるいよ?もう!」 ありがとう、ありがとう。 わたしの笑顔にそんな力がちょっとでもあるのなら。 −いっぱいのありがとうを、みんなに送るよ! side DAICHI 図書館で受験勉強に取り組んでいると、突然影が差すから顔を上げる。 思いがけずすっかり長く深い付き合いになってしまった顔がそこにあって、座れよと勧めた。 「大地、受験勉強は順調か?」 その男は−律は勧めるまま俺の前の席に座るとそんな事を問いかけてくる。 律から音楽以外のことで話しかけられるのも、最近は少しずつ慣れてきたが、違和感が拭えないのは夏のせいだろうか。 「おかげさまで、と言ったところか。 そういう律こそ、夏休みの頃のようなことになっていないか心配だぞ、俺は」 課題をまったくやっていないと菩提樹寮に集合したことを思い出す。 思わず笑みが浮かぶが、釣られたように律も笑むからどうやら覚えていたんだろう。 「進学しても音楽を続けるためだからな、俺も手は抜けない」 そう言って律が手に持っているのは参考書で、どうやらそこは嘘ではないらしい。 流石に律も受験生だったか、とひとり納得していると。 「…大地」 不意に律の口調が変わり、俺も手を止める。 「俺は音楽以外のことが出来るほど器用ではない。 だから、俺は支倉と東金の計画には関わらなかったが、奴らと心は同じだ」 「律」 …驚いた。 律は確かに音楽以外には面白いほど不器用な男だ。 色恋沙汰にも非常に疎い。 その律が、気づいていたのか。 それほどまでに彼女のことが大切だったのか。 そう。 時がたつにつれて解ってきたことがある。 俺が偶然だと思っていたことが全て−少なくともあの東金のパーティの一件は全て仕組まれたことだったということ。 パーティの招待状も、新幹線のチケットも、パーティ会場へスムーズに突入出来たことさえ東金の計画どおりで。 そこまでお膳立てされないと動けない俺に情けないと思うのと同時に、どれだけひなちゃんが皆に愛されているかを知った。 自分が好きな相手と付き合いたいという欲求よりも、好きな相手の幸せを祈ってもらえるような…それは恋というよりきっと愛に近い。 その、皆に愛されているひなちゃんが選んでくれたのが俺だと言うこと…どれだけ感謝をしてもし足りない。 俺を見限らないでくれたおせっかいな奴らに、それから誰よりひなちゃんに。 「大地」 律が俺をまっすぐ見て、俺に声を掛ける。 俺もまっすぐ見返して、宣言する。 「大切にするよ。誰よりも、なによりも。 そして、もう決して悲しませたりしないと約束する」 俺には大きな恩がある。 それを返していく方法なんて−途方も無い大きくて多い恩だ、いつまでたってもきっと返しきることは出来ないが、返していく方法があるとしたら、それは−ひとつしか知らない。 ただ彼女の笑顔を守っていくこと。 きっとそれが全てなんだろう。 「そうか、解った。 …小日向をよろしく頼む」 「あぁ、任せてくれ」 俺は多くは語らなかったし、律も多くを問わなかった。 けど、それで良いと思った。 俺に求められているのは口約束なんかじゃない。。 「では、俺は行く」 そうして机を立った律を見送って、そして気づく。 律は、そう言えばオケ部の実績が認められて推薦で進学するのではなかったろうか…? 俺と話すための口実、だったりするのだろうか。 …幸せになろう。 彼女の笑顔を守り続けること。 彼女の幸せを守り続けること。 −それが俺たちの幸せを守り続けていくことになるはずだから。 side LOVERS そうして恋人たちは、終わらない幸せの中を歩いていく。 おはよう。 元気? お疲れ様。 一緒に帰ろう。 また明日ね。 …ふたりで交わす些細な言葉のひとつひとつが幸せとなって積もっていくのだから。 そんな、終わらない幸せ。 ある春の日。 菩提樹寮の前にその男は居た。 ぼんやりと木々を眺めながら、どことなく穏やかな表情で。 そうして待つ男の元に少女が駆け寄っていく。 その足音に気づいたか、彼は振り向いて微笑んだ。 「やあ、おはようひなちゃん。今日もいい天気だね」 「大地先輩、おはようございます! ほんとに今日はいい天気で、卒業式にはぴったりですね!」 彼の笑顔に釣られたように、彼女もぱっと明るい無邪気な笑顔で笑う。 彼女の言葉に彼は頷いて、それから少し苦笑する。 「そうだね。もうこれでひなちゃんとすれ違う機会が減ってしまうと思うと少し悲しいな」 そう言ってはあ、とため息をついてみせる彼に、彼女も少し物憂げな瞳になる。 彼はそんな彼女の表情にくすりと小さく笑った。 そして、自分の手の隣にある、彼女の小さい手をぎゅっと握った。 「!!」 彼女は一瞬解りやすく身をはねさせた後、それでも嬉しそうに幸せそうに笑顔を浮かべて握り返す。 照れくさい気持ちよりも、ふたりで触れ合う時間への喜びが勝ったのだろう。 「でも大丈夫、寂しくなったら携帯に連絡くれれば良いし、休みの日はデートしよう。 ひなちゃんのためだと思えば俺は頑張れるから」 そう言ってウィンクする彼に、彼女は頬を赤く染めながらもぱっと笑う。 「約束!わたしも、大地先輩に会うためなら頑張ります! 部活も勉強も!」 そう言って微笑みあう姿。 手に手をとって仲睦まじく歩く姿。 彼らを取り巻く人々が、見たかったもので守りたかったもの。 彼には彼の思惑があって、彼女には彼女にとって譲れないものがあって。 回り道も寄り道も、道に迷うことも、時に行き止まりに行き当たることもあるけれど。 一緒に居れば大丈夫だと、今の二人なら胸を張って言えるのだろう。 それがふたりにとっての最大の法則。 −−−彼と彼女の事情。 ------------- 以上、9話でした!最終回だったので視点を入れ替えながらにしてみました。 思いの通じ合った2人のその後、を書いたつもりです。 思ったより甘くならなかったのは……私の力が至らないばかりに…。 取りあえずこの話を持って「彼と彼女の事情」は完結なのですが、取りあえず今の段階で一個拾いきれなかったフラグがあるので、それは番外編でも出来たらいいなあとか考えてます。 そう言うサイドストーリーを書けたら幸せ。 ここまでのお付き合い、有難う御座いました! |