あの日以来。
あの、ひなちゃんを傷つけてしまった学院祭以来。

それが良い事か悪い事かはさておき、ひなちゃんとは顔を合わせない日が続いていた。


俺には受験勉強と言う大義名分があったし、ひなちゃんは遅れて入部したとはいえ最上級生でオケ部のエース。
普通に考えたら関わらない関係で、でもそれでいいと思った。
俺のような心の狭い最低な男のことなど忘れてくれればいいと。

風の噂というには騒がしく、ひなちゃんが神南の東金のクリスマスパーティに誘われたことを聞いても。
響也が必死になってたから俺は冷静な振りをしていられたけど、内心穏やかじゃない。
でも、それもひなちゃんが決めたことだと、言い聞かせて。

…ひなちゃんが決めたことだから、仕方が無い?

そう言い聞かせている自分に、それからそれに納得出来ない自分にうんざりする。
忘れることなんか、出来ないくせに。

…ヴァイオリンの音色を聞くたびに、足を止めてしまうくせに。

かすかな音色は、夏に散々練習した懐かしい曲ばかり。
彼女の演奏だとすぐに解った。
彼女特有の鮮やかな音色、強い感情を孕んだ情熱的な音色。
やっぱり好きだな、惹きつけられてしまう。
そう…音色が何かを訴えかけている気がして…気がつくとそちらへ足を向けてしまう自分をぐっと押さえ込んで…俺は踵を返す。
俺にそんな資格が有ると思うのか?
傷つけてしまった俺に。

彼女を泣かせてしまった俺に…。


そうして俺は時々痛みを覚えつつ、受験勉強で気を紛らわせながら冬休みを迎えた。



そんな俺に、突然の電話が鳴り響いたのはクリスマスを目前に控えた22日のこと。
「………ハル?」
それは生真面目な2つ下の後輩からで。
珍しい事も有るもんだと首を傾げる。
俺の知るハルは、前触れも無く、部活を引退した俺にいきなり電話をしてくるような性格ではないのだが。
……考えていても仕方が無い、俺は通話ボタンに指を置く。
「もしもし、ハル、どうした?」
俺の声は後輩の切羽詰まった声に遮られる。
「榊先輩、今すぐ菩提樹寮に来て下さい!小日向先輩が…小日向先輩が連れ去られたんです!」

突然の衝撃発言に、俺は上着1枚を引っ掴んで家を飛び出していた。


暫く訪れなかった菩提樹寮に懐かしさを覚えるより前にいささか乱暴に扉をくぐって。
「ハル!どういうことだ!ひなちゃんが連れ去られたって…」
ハルは俺の顔を見るなり一瞬顔を酷く歪めたが、ひと呼吸おくと感情を込めない声を出す。
「小日向先輩が、神南の東金にパーティに誘われていた事は知っていますね?」
また神南関係かと思わずため息をつく。
……しかしそれなら、連れ去られたはずいぶん過激な発言だが。
「それなら知っているよ。おせっかいな風の噂が届いたからね」
そう言ってちらりと響也を見やれば少し居心地悪そうに目線をそらす。
「そう言う事ならそこまで騒ぐ事も…」
ハルの鋭い目線をそらすようにちらりと扉へと目を向け…ようとして失敗した。
俺の胸ぐらにつかみかかって来たからだ。
「おい、…」
「予定より2日も前に予告もなく突然押し掛け、準備する間もなく車で無理矢理連れて行かれてもですか!?」
この机を見て下さい、と手で示す方向を見てみれば、机の上には開きっぱなしの楽譜や筆記具。
白い封筒から覗くのは、2枚のチケット。
新幹線の乗車券の日付は明日でパーティはクリスマスイブとなっていて。
予定より前にと言うのも片付ける間もなくと言うのも大げさではないらしいなと思わず眉を寄せる。
ハルはようやく手を離し、悔しげに目線をそらす。
「僕が小日向先輩を思う気持ちを抑えたのは、榊先輩になら任せられると思ったからです。
 小日向先輩にあんな苦しげな表情を、演奏をさせるためではありません。
 ましてや、神南の2人に好き勝手させるためでもない。
 ……あなたは、何をやってるんですか…!」
絞り出すようなハルの言葉に、だが俺は首を振る。
「…それが、ひなちゃんにとっての幸せなら、俺は…」
必死で言い聞かせて来た言葉。
ハルにと言うより自分をなだめる言葉。
そこへ、ここまで沈黙を保っていた支倉が口を開く。
「なあ、榊大地。お前は小日向の何を知っているんだ?
 どうして神南に連れ去られてそれが小日向の幸福だと決めつけるんだ」

……ひなちゃんの、何を。

言い返す言葉も無く立ち尽くす俺に、支倉は1枚のチケットを取り出して俺に差し出した。
……神戸行き、新幹線のチケット。

「あまりに腹がたったから私が連れ戻しに行こうと思っていたのだが…確かめてくるか?」

乗車時間は迫っているが…今からなら間に合う。
俺はチケットを受け取ると礼もそこそこに走り出した。

「……恩に着るよ、支倉!」


新幹線の中で考える事はただひとつ。
勝手な推測で泣かせてしまった俺だけど、許されるのなら。
俺の気持ちを伝えたい。

追いつめられないと動けないなんて情けない俺を、許してくれるのなら、その時には…。



パーティ会場となっているホテルはすぐに見つかった。
チケットの示している会場は……ここの最上階か!
「お客様、これより先は…、……お客様!!」
ホテルのスタッフの静止も振り切って俺は走る。
準備をしていると言うことだから、会場には誰か関係者がいるだろう。そこから彼女の居場所を聞き出せれば…!
最上階の大広間の扉の前には見覚えのある顔が有った。
「……貴方は、確か星奏の……」
「君は、神南の生徒だな!?」
ぐっと腕を掴む俺に彼の顔が少し歪むが気にしては居られなかった。
「彼女は…ひなちゃんは」
「小日向さんならここにはいませんよ。パーティは明後日ですから。
 今は部長と副部長が中で設営の指示をして…」
そこまで聞けば十分だった。彼の静止も無視して横をすり抜け扉を開ける。

「……招かれざる客の到来か。どうした、星奏の」

東金が手を止めて俺に目を向ける。
俺は人垣をかき分けて東金の前に立つ。
「御託は良い。…ひなちゃんを返してもらおうか」
そう言って奴を睨みつけると一瞬ぱちっと視線が交錯した。
「あんれ、榊君やないの。…なんや穏やかやないな?」
そしてもうひとり、俺の死角から出て来た土岐。
挑発的な笑みを浮かべている辺り、確信犯のようだ。

「うちのかわいい後輩を誘拐するのはやめてくれないか?」
「誘拐。人聞きの悪いこと言うもんやないわ。任意同行や。ちゃんと招待してちゃんと返事も貰とるよ」
「でも迎えに来る話にはなってなかったんだろ?それもいきなり、2日も前に」
「それは事実や。仕方ないやろ。小日向ちゃんに会いとうて仕方なかったんや。俺は榊くんと違て自分の感情に嘘はつけへんから」

あぁ言えばこういうとはまさしくこういう事だろうか。
…正直なところ、自分の考えをはっきり口に出来るところは羨ましくも有るのだが…だが、そうも言っていられない。
今までなら避けて通って来た、諦めた道を、今日は進むと決めたのだから。

「素直に言えばええやん。大好きな小日向ちゃんに近づくな、気に入らへんのや、って」

こんなみえみえの挑発にだって、乗らない訳にはいかないんだ。

「それは厭味か、土岐?
 ……いや答えは必要ない、答えはどうでもいいんだ。
 君たちがひなちゃんに執着していようと、ひなちゃんが誰を好きだろうと誰と付き合っていようと、俺はもう自分の気持ちを誤摩化さないと決めたんだ。
 俺は、俺にとってたったひとりの大切なおんなのこを、迎えに来た」

今の俺は彼らにはどう映っているんだろう。
振られると解っていてもこうして来てしまった道化に見えているだろうか…でもそんな事はもうどうでも良かった。
自分の気持ちに素直になると言うことはこんなに清々しい事なのか…。

土岐は暫く沈黙を保っていたが、ふぅ、と大げさにため息を一つついた。

「…言うとくけど、そんなおもろい勘違いしとうの、榊くんだけやよ」

……どういうことだ?と首を傾げる俺を尻目に、土岐はすぐ近くの窓際に歩み寄り、窓際に掛かっているカーテンを開いて、そこには……。

「……大地、先輩…」

窓とカーテンの間に隠されていたのだろうか…ずっと見たかった顔が、そこにあった。

「ひなちゃん!」

いつからここにとか、聞いていたのかいとか、聞きたい事は色々あったけど、それよりも先に言いたい事が有った。
ゆっくり歩み寄って、彼女の前に立つ。
ひなちゃんは顔を赤くしてわずかに瞳を揺らしたものの、何も言わずに俺を見つめてくれた。
……その表情は、…俺の見間違いでないのなら、恋する女の子のもので。

どうして気づかなかったんだろう。
彼女はずっと、この顔で俺を見てくれていたのに。

思わず俺は腕を伸ばしてひなちゃんを腕に閉じ込めていた。
ひなちゃんは……びくりと肩を揺らしたものの、逃げたりはしないでくれた。

「……俺は、期待してもいいのかな?
 少なくとも君に嫌われてはいないと…それからもっと都合のいい期待をしても、いいのかな…?」

期待半分、不安半分で問いかけると、…ひなちゃんの手が、俺の腰へと回ったのが解る。
ぎゅ、と抱きしめ返してくれる。
何か言おうとするひなちゃんを遮って、俺は再び口を開く。

「俺は臆病で、君の気持ちを確かめる事もしないで憶測だけで君を酷く傷つけてしまった。
 それでも俺は、もし君が許してくれるのなら…君の隣に、誰よりも近くに居たいんだ。
 ……俺は、小日向かなでさん、君の事が好きです」

腕を緩めて、彼女の顔が見えるようにそっと顔を屈めると、真っ赤な顔してみるみる瞳に涙がたまるから…再び抱きしめる腕を強める。

泣きながら、声を詰まらせながら、…俺にしがみつく力を強くして、わたしも好きです、って声がかすかに聞こえて。

泣かないでとか、いっぱい傷つけてごめんとか、気の利いた事がなぜか出てこなくって。


「俺の事を好きになってくれてありがとう」


俺たちは今まで素直になれなかった分、一緒に少し泣いた




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以上8話でした!
7話がすごーく短かった反動で8話がすごーく長くなりましたね。
そしてやっと重い背中を押せたって感じです。

後はハッピーエンドまで猫まっしぐら!