それは何もないごく普通の1日になる予定だった。 ただ、小日向の演奏があるから行かないかと天宮に声を掛けられ、取り立てて断る理由が見つからないがために巻き込まれただけだ。 この俺に足を運ばせるだけの演奏かと言われれば、今日の舞台はそれには値せぬ。 小日向個人、ソロの演奏としては価値があるが、オーケストラであるというのなら話は別格となる。 ひとりが突出して良くても駄目だが、一人だけ気のない演奏をしても格が落ちる。 星奏の部長にはそれが解っていると思ったのだがな。 解せん、がそれを指摘してやるのも甚だ面倒に思えた。 そのような取り止めのない事を考えながら、天宮と俺を乗せた車は帰路につく。 予想外に道が混んでいて思うように進まずに若干苛立ちを隠せぬまま、何気なく外に目をやる。 天宮も反対側の窓の外を眺め、何かを気に留め息を飲む。 「どうした」 「冥加、あれ」 天宮の指差す先を見てみれば件の少女。 ただ歩いているだけならば気にも留めないが、衣装のまま手荷物のひとつもなく歩いているのは不可解だ。 「おい、車を停めろ」 車を止めさせると俺より先に奴に歩み寄る天宮。 それに続き、俺も。 「やあ、君はいつも僕を驚かせるのが上手いね」 日常会話のごとく話しかけるが、眉間が寄っているぞ、天宮。 「…あまみや、さん」 「君の外出スタイルがそんなに華美だとは思わなかった。でもそれなら歩きは似合わないよ?」 車にどうぞ、お姫様、なんてさも自分の車のように車へと誘導しようと動く。 だが乗ることを躊躇う小日向。 俺は奴の手を掴むと車へ歩き出した。 「ちょ、冥加さん…!」 まだ何かを言おうとするのが気に入らない、 俺は手を離さぬまま立ち止まり振り返る。 「貴様にそのような様相で歩かれるのは目障りだ。 さらに言えばそのような目立つ貴様に抵抗されるとこちらが不審者に思われる。 解ったらさっさと車に乗れ」 小日向は顔をわずかに歪めたのち、ひとつ頷くと大人しく俺たちの後を付いてきた。 車内に戻り、ひとまず自宅に向かうよう運転手に指示をすると、電話を入れる。 小日向の知人であろうあの猫のような娘に、迎えに来るよう伝える。 なにやら電話の向こうが騒がしかったな…突然消えたこいつに慌てているのだろう。 通話を終えるとルームミラー越しに奴を見やる。 後部座席に座る小日向は天宮とは距離を取り、何を見るでもなく俯いている。 天宮が時折何かを話しかけるようだが、小日向は首を上下左右に動かすのみで、至って静かなまま我が家へと到着した。 枝織に小日向を任せ、俺たちは少し離れた所で奴を見る。 連れて来た以上放っておく訳にも行くまい。 その静寂は来訪者を告げるドアチャイムとけたたましく叩かれる扉の音で遮られた。 「小日向」 奴は迎えに出た俺にはちらりとも目をくれず、まっすぐ小日向の元へと歩み寄る。 「小日向。…心配したぞ」 そう言い、肩に手を乗せた所で小日向の表情が酷く歪み。 「…ニア、ニア…!!」 服にしがみつき、顔を奴の肩に預け、幼子のように泣き始めた。 一度目を丸くしたが何も言わず、背を頭を撫でる奴の姿を見ながらようやく息をついた。 「彼女を呼んで正解だったようだね、冥加」 天宮もようやく安堵したのか、僅かに笑みを浮かべた。 暫く泣きわめいた後、疲れたのか眠るまで、なぜか俺たちは目を離す事が出来なかった。 運転手に客を送るよう指示をし、部屋には俺と枝織のみが残され。 枝織は俺の分のコーヒーと自分のカフェオレを持ってリビングに戻って来た。 「お兄様…小日向さん、だいじょうぶでしょうか…」 「さて、な…」 俺には気休めの言葉など言えぬ。 それを解っている枝織はそうですねとだけ答えた。 正直俺は、ひとたび舞台に立てばこの俺を魅了するあの小日向が、色恋沙汰程度であれほどまで崩れるとは思わなかったのだ。 ただ、奴の泣き顔は見るに耐えん。 たかが女の泣き顔にここまで心を乱されるとは、予定外の展開ではあるのだが。 …奴は、俺の運命の女。 俺の何かを作り替えて行った、不思議な娘。 だが、奴が選んだ相手は俺ではない。 それに何やら胸部が締め付けられるような錯覚を覚えたが、それでも奴の、友人として居られるなら、奴が笑うなら、良いと思ったのだ。 小日向が選んだのなら良いと思ったが、奴を泣かすことは許した覚えはない。 いつもより苦く感じるコーヒーを飲み干して俺は窓の外を見上げた。 奴の泣き顔を連想させるように急激に曇り始め、間もなく雨が降り出すだろう。 「貴様は俺が認めるに足る奏者であり、俺の唯一の宿敵だ。…このようなことで墜ちることは許さんぞ」 ……俺も、いつまでも奴に気を取られている訳には行かんのだ。 気持ちを切り替えるべくカーテンで外界と隔てると、俺はコーヒーを手に仕事部屋へと移動するのだった。 ------------- 以上、6.5話でした! ファムファタルを大好きなみょがたんが出したかったんだけど、難しかったなあ…。 天宮さんも枝織ちゃんも大好きなんだけれど、他校なみんなは本当に良く解ってなくってそれが自分でも解ってるからしょんぼり。 |