ひなちゃんが料理している寮の台所から一歩外へ出ると、思わずため息が零れ出た。
見に行かなければ良かったと思わず後悔してしまう。
神南の彼らが遊びに来てて、彼らの好物を…土岐の好きな肉じゃがを。
俺の為じゃなく。
…本当に、自分がこんなに余裕がないなんて知らなかった。

いや、自分に余裕がないなんて今さらじゃないか。
校門の前に夏の間に嫌でも見慣てしまった車があることに驚いて、思わず身を隠した。
目的はひなちゃんだろうと思うと冷静ではいられなくて。
なのに、彼女に触れようとしている土岐を見るだけで黒い感情に支配されそうで…。
それに更に拍車を掛けたのは、土岐。
あいつは、こちらを見てにっこりと笑った。
俺が居ると、見ていると気付いていて、ひなちゃんに触れようというのか。

…気がつくと俺は、律を訪ねていくための口実を探していた。

「…大地」
「なにかな、律」
律に訪ねていった『理由』を手渡すと、律はしばらく黙って、それからまっすぐ俺の顔を見て軽く首を傾げる。
「これは、そこまで急ぎの用件だったのか?」
……やっぱり突っ込まれたかと思わず苦笑してしまう。
「俺としてはそれなりに急ぎの用件だけどね。まぁ…あまり深くは気にしないでくれると助かるな」
そんな気のない会話をしながらも気になって仕方がないのはひなちゃんのこと。
どうしても彼らよりも寮へ着くのは遅くなるから、その間に何か起こらなかったかと心配になってしまう。
…考えすぎだとは重々解っているのだけれど、土岐は俺が見ていたことを知っていての確信犯…だと思うから。
最悪を考えておくに越したことはない、はずだ。

「あれ、なんで榊くんがここにおるんやろ?榊くんも寮生やったっけ?」
律と立ち話をしているとふいに寮の内側から声を掛けられる。
誰かなんて振り返るまでもない、土岐だ。
しれっとした表情と声音は、俺の目的すら解っていて言っているようで。
「その言葉、そっくり返させてもらおうか。どうして土岐がここにいるんだ?
俺が知らない間に星奏に転校して来たのか?」
勿論、そんなことではないと解ってる。
俺たちの間に見えない火花が散ったかのように感じた。
「…?大地、折角だから上がっていったらどうだ」
茶くらい出そうと言う天の助けのような律の言葉に頷くと、土岐ににっこり笑いかけた。
「と、言うわけだ。おじゃまするよ」
「別に、俺に何か言う必要はないと思うけど、まぁゆっくりしていき」
土岐はなにやら余裕の表情を浮かべていた。

…のを思い出したらなんだかむかついてきたな。
律から出された麦茶のグラスは氷を残すだけになっていて、時々溶けた氷がからんと涼しげな音を鳴らす。
折角なのでとロビーで広げた受験勉強も思ったより捗らない。
原因は明らかに派手な2人組で、そんなこと解っているのだから気にするだけ無駄なのだけど。
向かいに座っている律に気付かれないように小さくため息をつくと、再び数式に意識を集中させようと試みた。
すると今度は台所から漂う香りに集中力を乱される。
彼女に取っては当たり前の行動。
彼女の私服にエプロン姿は勿論男としてとてもそそられるけれど。

彼女が作っているのは俺の好きな、俺のためではない肉じゃがで。

…苦しい。予想以上に、こんなに心が締め付けられるとは思ってもみなかった。

「…大地?」
「!」

よほどの表情をしていたのか、律に声を掛けられてはっとする。
「どうした、大地。そんなに難しい問題でもあったのか?」
律の言葉に小さく苦笑してみせる。
「いや、たいした問題じゃないんだ。この程度で躓いていちゃいけないな。」
課題的にも、それから…今後ともひなちゃんとは仲良くしていきたいんだから、いくら気に入らなくても…受け入れなくてはならないんだろう。
「俺もまだまだだってことか。やれやれ。先が思いやられるな」
肩をすくめた俺を見て、律は軽く首を傾げてみせる。
「お前は充分勉強していると思うが、やはり医大ともなるとそれでもまだ足りないのか?」
生真面目な言葉にまぁそんなところさと曖昧に誤魔化した。

「いや、ほんまに美味い。小日向ちゃんはいつでもいい奥さんになれるなあ」
「え、あのそんな…!ありがとうございます、土岐さん」
土岐の言葉に真っ赤に赤面するひなちゃん。
そんな姿を見てしまうと覚悟をしたつもりなのに胸が締め付けられる。
俺の為ではない肉じゃがはやっぱりいつもどおり美味しくて、でもどこか味覚が麻痺してしまったかのようで。
正直、味気なく感じた。

「へえ?星奏の学院祭は11月にあるんやね?」
話はいつの間にか変わっていて、土岐と東金は支倉さんが話す学院際の話に耳を傾けていた。
勿論夏から星奏に転入してきたひなちゃんにも興味のある話のようでわくわくした表情で相槌を打っている。
「わたしも良く知らないんです。練習してるからああ演奏するんだなあって思うくらいで」
「そうか、オケ部で演奏するんだな?予定が合えば見に来てやってもいい、
 お前の花、もしや季節の変化と共に散ってはいないだろうな?」
東金のいたずらっぽい発言にぷう、と頬を膨らませるひなちゃんは本当に愛らしく、その表情を引き出したのは俺ではないことが少し…いやかなり、悔しい。
「そういうことは演奏を聴いてから言ってください!」
拗ねたひなちゃんを見て実に楽しそうに笑う東金と土岐を裏目に、俺は更に心が重くなっていくことに気付く。

「へえ、ダンスパーティがあるんやね」
「後夜祭だから基本学院生だけだが、中々に盛り上がるイベントだな。…小日向はワルツを踊れないなら練習に参加するといい」
「え、ワルツ?」
きょとんと目を開くひなちゃんにクスクス笑いながら答える支倉さん。
「この夏のヒロインがまさか壁の花と言うわけにはいかないだろう?私としても張り合いがなくてつまらん」
主に後半の感情が理由であろう言い草にも大きな目を更に丸くした。
「ニアったら、大げさだよ。わたしなんかを気にする人なんていないって」
そんなことはないよ、と口を挟みたい発言だが、それに俺よりも遥かに早く反応する姿があった。
「小日向ちゃんはほんま、自分の魅力を解ってへんのやね。そういう所が可愛いんやけど」
「少なくとも夏のステージの上ではお前は花を咲かせていた。この俺が言うんだから自信を持てばいい」
…面白くない、と思わず奥歯を噛み締める。
面白くないことは続いて、ワルツの特訓をしてやろうかだの、衣装を用意してやろうだの、好き勝手なことを言う奴ら。
本気にせよ冗談にせよ何か苦いものがこみ上げてくるような精神状態。
無駄に喉が渇いて麦茶をぐいと飲み干したけれど、渇きが癒されることはなかった。





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以上、第4話でした!
大地はきっと相当ヤキモチ焼きさんで腹黒い癖に紳士の仮面を被りたがった末のあんな大地先輩だと思うので、お腹の中に溜め込んでも紳士スマイルははがれない的なイメージが有ります。
と言うか、多分それが我が家の大地先輩だと思います(笑)

律くんを訪ねてった用件だってきっと大した事無いんだと思う。用件決めてないですけど!